2008年6月28日土曜日

牛仙人

謎の多いインドですが今日近所を歩いているとこんな新たな謎に出合いました。

大通りの中央分離帯に牛がいっぱいいるのは当たり前なのですが異様な恰好の老人が牛に向かってゆっくりと棒を振り上げたり腕をおろしたりなにやら指図をしています。

牛もそのうち老人のほうを見て恍惚とした表情になってきました。二人でなにか会話をしているとしか思えません。

このあと子牛を一頭追いたてていきました。

いったいあれは何の意味だったのか?この老人は何者なのか?もしかして牛と会話できる偉大な聖人だったのか?単なる物好きなホームレスなのか?全くわかりません。


2008年6月21日土曜日

Biba ミュージックのRockey さん

以前下見に行った店でシタールをついに購入することにしました。店の地下はこんな感じです。


日本にいたことのあるロッキーさん、日本語が上手なので英語と日本語半分半分で丁寧に説明をしてくれます。ひょんなことから私が北京から来たということを話すとなんとロッキーさんデリー大学で中国語を学んでいたということが発覚。中国語のテキストまでちゃんとそばに置いてあって見せてくれました。これ以降は英語、日本語に中国語を入れて会話が始まってしまいました。もう言語のカレーチャーハン状態です。

今回はお父さんと兄弟らしき人もいてお父さんは”大阪にいたことがある、いいところだ”とごあいさつ。もともとはパキスタンの出身なのですが戦後インド・パキスタン独立の時に帰れなくなってしまったとのこと。この辺は日本人には理解しにくい事情です。



安いものは4000ルピーから、でもこれはほとんどオモチャか飾りものだそうです。木の材質はバラ科かもしくはマホガニー、最近は桜の木を使うようになったが以前は全くこんなものは使わなかったとのこと。これをちゃんと乾燥させているかどうか、フレットに使われている材質が何かなどで値段が違います。やはり楽器はちゃんとした物を買わないと後で後悔することになるのでここは思い切って高いものを購入しました。価格は秘密ですが日本で買うよりはるかに安いでしょう。ラビシャンカール執筆の教則本のコピーつきです。ビートルズもこれで勉強したのだと言ってますがどうだか。

インドカルチャーセンターで教えていて土日に部屋まで来てくれる先生を紹介してくれるとのことですが今は夏休みで習いたい学生がいっぱいだそうです。こちらもまだそれどころではないのでもう少しして落ち着いたらお願いすることとしました。

”なにかあったらいつでも電話するか来て。また中国語の練習しましょう”と笑顔で送ってくれました。

最後は二人で再見!(zai jian!)

2008年6月16日月曜日

番犬失格?

一週間ぶりに北京からインドに帰ってきました。税関で声をかけてくれないか期待したのですが全くのフリーパス。前回おせわになった謎の私服税関員の姿がどこにも見当たりません。白い制服の人たちも椅子に座ってだべっているだけで全く働いていません。がっかり。

天気はどんよりと曇っていて雨がちです。テレビでモンスーンが来た(=雨期になった)とニュースで報道されていました。雨季は通常は7月から8月のようでなんと今年は100数年ぶりに早い6月の雨期入りだそうです。道路に排水溝なんてものはこのあたりには全くないので街中いたるところ水浸しです。でも雨は一日振り続けるということはなく数時間もすれば上がってしまいます。そしてあっという間に泥が乾いてほこりとなって舞い上がります。

こちらの人はあまり傘なんてささない。土砂降りでも平気で傘なし、全身ずぶぬれの人がいっぱいいます。そのあといったいどうなるのか?

北京に行っている間に部屋が替わって建物の反対側に移りました。窓の景色も違います。すぐ先は民家で北京の故同のように敷地内に何軒かの民家が共同で暮らしているようです。夕方何気なく外を見るとその民家の軒先に野良牛がいて私の部屋からはよく見えないのですが何かしきりに食べています。

入口の門に犬がいてさかんに吠えているのですが明らかに尻尾を振りながら吠えています。野良犬ではなく番犬なのですがここまで牛を中に入れておいて何のための門番だったのか?




と不思議に思っていたら数日後わかったのですがなんとこの牛は野良ではなくここで飼われているようです。一頭だけでなく子供までいました。牛乳を搾るのでしょうか? それともペット? 野良がこれだけいるのだから飼っていても不思議はないでしょうがホテルのとなりの民家で牛を飼っているとはちょっと驚きです。

2008年6月15日日曜日

な、な、なんとお、文明乗車だ!

久しぶりに北京の地下鉄に乗るとすべて自動改札になっているではないですか。これまでは出るときはフリーパスだったのにちゃんと出る時も自動改札でチェックです。パスモのようなカードがあるのですがどこにタッチすればいいのか分かりにくくて機械に拒否されたらちゃんと係員がついていて”ここですよ”と教えてくれました。まず係員がいることに驚き。

それよりもっと我が目を疑う驚愕の風景に出会いました。もしかしたら久しぶりに北京に戻って体がまだなじんでいなかったので幻覚を見てしまったのか? いまだに信じられません。

地下鉄五号線、東単の駅に列車が入り停止位置に近づいてドアが開くと、ドアが開くと、、、

これまでだったら二人三脚、三人四脚、四人五脚のように横に隙間なく並んでそのまま乗ってこようとする乗客にはばまれて降りるためにはラグビーかアメフトの練習ができるのですが、、、

ホームで人が並んでいる!!! そ、そ、それだけではないぞ、ちゃんと両側に分かれて真中にす・き・があるではないか!! 神様仏様!Oh my god! 天啊! ヘラーム!(覚えていますか?ガンジーが死ぬ前に行った”おお神よ!”というヒンズー語、のはず)

一瞬日本の地下鉄にいるのかと錯覚しました。なぜならこんな光景が北京の地下鉄にありえるはずがないと私の脳内思考回路が自動的に安全装置を働かせたのです。

でも幻ではなかったようです。私は両側に整然と並んでいる乗客の間を全く体を接触することなくホームに降り立ちそのまま階段まで到達できたのです。旧約聖書に出てくるモーゼが海を分けてユダヤの民を導いた如くホームの人海の中を悠々と歩くことができたのです。こんなことが、こんなことが、いや絶対何かの間違いだ、と後ろを振り返るとドアの前にオレンジ色のようなシャツの人たちが。

どうやらこの人たちは”文明乗車ボランティア(文明乘车志愿服务员)のようです。これまでも一応“降りる人が先です、乗る人はあとです”というアナウンスはされていましたがこんなもの全く効果がありません。この人たちのおかげでちゃんと整列乗車、こちらでいう文明乗車が実現できたのです。私がモーゼだとすればこの人たちは神よりの使者、天使のような存在です。

聞くところによると大阪では文明乗車ができていないとこのこと。このままでは北京に文明度で抜かれてしまうかも。

それともやはり私の幻覚だったのでしょうか?

下の写真がインターネットに載っていた4月2日に行われた結団式のようです。
http://www.bjsubway.com/cns/dtwh/wmcl/wmcc/2008/04/03/3388.html

2008年6月9日月曜日

四川大地震の街頭報道


一か月ぶりに北京に帰ってきました。王府井の目抜き通りには地震の様子を伝える写真が。通りがかりにも覗き込んでいる人がいます。今回の災害は多くの人に中国人としての連帯感を強めるきっかけになったようで車のステッカーにも以前は見たことのなかった"I ❤ china"などというステッカが貼られています。

でもこれまでメディアに前例にないほどオープンだった姿勢が最近厳しくなっているという記事をシンガポールの新聞で見ました。

2008年6月7日土曜日

BIBA ミュージックエンポリアム



かねてから狙っていたインド古典音楽楽器探しに出かけました。運転手が替ってオム・シンさんです。マノージと違ってデリー市内はあまり詳しくないので二人で地図をにらめっこ。目的地近くまではほとんど私が道案内しながらあちらこちらと探し回ります。北京と違って通りにはまず表示がないのでいったい自分がどこにいるのかわかるのが一苦労。最後は結局窓を開けてオムがリキシャの運転手に向かって聞くことになります。

一軒目はデリーの最中心、コンノートプレースにあるビートルズも来たという店だったのですが土曜の昼前なのになぜかしまっていました。情報を頼りにもう一軒、デリー旧市街に近いネタージスバシュという下町の店に。


危うく見逃しそうなお目当ての小さな店をやっと見つけて行ってみると”ビーバミュージックエンポリゥム 比巴乐(楽)器店”(なぜか楽器の’楽’の字が中国大陸で使われれる簡体字の’乐’です)という怪しげな日本語が書かれています。この近くには何軒か楽器やがありますが日本語が書いてあるのはここだけ。でもなかにはいるとギターとか管楽器とかほとんど西洋楽器ばかり。




一番奥にちょっとだけ置いてあったシタールを見ていると日本人が思い描く”これがインド人”という典型的なターバンを巻いたおじさんがきて”何をおさがし?”と突然日本語で聞いてくるではなですか。シタールを見せて、というとこれまた上手な日本語で”ちょっとまって、一分ね”と言って帰ってくると”シタールは地下にある”と急な階段の地下に案内されました。そこにはずらりとシタールが置いてあって安いのから高いのまでいろいろと床に座って弾きながら説明をしてくれます。教室も紹介してくれるとのこと。数週間後にまた来るからとロッキー・シンという名刺をもらって今日のところは帰ってきました。せっかくインドに来たんだから何かやらないともったいない。ぜひチャレンジしたいと思います。

2008年6月1日日曜日

熱烈歓迎! デリー空港税関


一週間ほど日本に帰っていました。日本は熱いのか寒いのかよくわからない気候で今回デリーから一緒に行ったインド人二人も最初はちょっと体調を崩し気味だったようです。帰りの成田からデリー行きのJAL便は土曜日出発ということもあるのかガラガラ状態。連れのインド人と”リビングルームに一人ずつベッドルームがあるようなもんだ”といいながら私は3人掛けのところを独り占めして横になって昼間から爆睡してしまいました。

着陸前にかなり揺れたものの無事デリー空港に到着。デリー空港がいかに最悪かはこちらでもたびたび新聞の話題になります。("http://indiatoday.digitaltoday.in/index.php?ption=com_content&task=view&id=7454&issueid=56)
空港で写真を撮るとやばいという話も聞くので写真は撮ってません。こちらの新聞記事にあった出国手続き待ちの写真を載せます。

今回はピーク時よりかなり人が少なく(といっても入国審査は軽く10分以上は待たされたと思いますが)”こんなに順調なことでいいのだろうか”と思っていたらやはり世の中(特にインドのは)はそう甘くはありませんでした。

これまではフリーパスだった税関で”あんたこっち”と言われてX線スキャンの列に。大きな荷物を持っている人を片っ端から検査しているようです。でもこのあたりの職員、制服ではなく私服で身分証明書もほとんどがつけていない。偉そうにしているリーダー格だけ身分証明書らしきものを首からぶら下げているいけど肝心の証明書は胸ポケットに入れたまま。どこの誰だかこれじゃわからないでしょ! 


指示を受けた荷物をスキャナーに入れると別の男がモニターのほうに来いと言います。モニターの前でジーパン身分証なし完全私服の青いターバン男、Mr.シン(ターバン巻いてるシーク教徒の名前はみんな’シン’のはずなのでここではシンとしておきます)が私に向ってこれまた偉そうにモニターにくっきりと緑色に映っている明らかにPCB(電子基板)とわかるところを指差し


 Mr.シン: ”これはなんだ?”

 私:” パソコンでございます”

 Mr.シン:”そんなはずはなーーーい!!”

 私:”間違いなくパソコンでございます”

 Mr.シン:”いや、決してそんなはずはなーーーい!”

 私:(持主のわたしがいってるんだから間違いないでしょう。あんたら毎日X線スキャナ見てるのにそんなことも分かんないの? 私はX線スキャナのモニターをこんな間近で見るのは生まれた初めて、いきなりこれは何だと言われたって普通はわかるわないだろう!) ”それなら開けるなり何なりお好きになさってくださいませ”


 Mr.シン:”うむ、、、、(しばらく沈黙) あけろ”

 私:(だったら初めっから’あけろ’って言えばいいのに!?)



結局私は会社のパソコンと個人のパソコン2台を持っていたのがいけないということで課税対象だと言い出しました。ここからが不思議なのですが検査をする謎の私服職員の出番はここまで、このあとちゃんと真っ白な(もしくは本来真っ白であろう)制服を着た税関職員の出番です。



どこからか白い制服の職員が現れパソコンの値段やら、目的やら聞き始めます。そこへ連れのインド人が私が遅いので助けに来て何やら白い制服の人たちとお話を。白い制服の人たちは私服のでかい態度の奴らと違って一見非常に友好的態度です。ヒンズー語で笑いながら何やら話をしていると思うと連れのインド人がお金を封筒に包んで渡そうとします。なに?と聞くとこっそり”袖の下!(under the table!)”と言います。 わたしは、見てません、きいてません、ちょっと離れて違う方向を向いていると、突然解放。



”で、いくら払ったの?”と聞くと”払っていない”と答えました。 本当は払ったのだがもし公に知れると面倒なことになるので私に向かってはこういったのか、逆に税関を脅しにかかって勝ったのか? 真相は今日のところは謎です。今後究明したいと思いますが公表できるかどうかはわかりません。



実は以前も一度デリー空港で出国の時に税関の取り調べを徹底的に受けた経験があります。やましいことは何もなかったので全面的に協力したのですが日本人だけを狙ったランダムチェックで取調室に連れて行かれました。ちょっと手持ちのドルの金額を一桁間違って答えたらかばんから財布まですべてあけられて質問されます。”これは日本で使われれる’ティッシュペーパ’というものです”、”これは中国のお札で’人民元’というものです”、”これは、、、、というものです”という楽しいやり取りをさせていただきました。ここでも最後には非常に友好的な責任者が出てきて”お茶かコーヒーでも飲んでいかないか?”とお誘いを受けましたが”時間もないのでまた次回”と丁重にお断りしました。



どうやらデリー空港の税関に私はとても気に入られているようです。次回はどうやって楽しませてくれるのか、フリーパスだとなんだかがっかり。いえ、やましいことは何にもないのでいろんな人が出てきて楽しめるので本当に面白いんです。