2010年4月29日木曜日

バンガロールに引っ越し

突然ですがデリーからバンガロールに引っ越しです。インドの引っ越し会社のお任せパックで荷づくりからやってくれます。こちらには日本にあるような手で切れるガムテープはありません。ビニールのような材質で手で切れそうでこれがなかなか切れない。作業員はビニールテープで巻いた釘を耳に挟んであって切るたびにこれでポツンと穴を開けてそこを切れ目に切り取ります。手でちぎれるガムテープがあるというのはどんなにありがたいことか。

アパートの前は名前はわかりませんがとてもきれいな花が満開。トラックが来ましたが屋根がありません。”これでバンガロールに行くわけではない、途中でもっと大きなトラックに積み替えるから心配しないで”と言われましたがにわか雨が降ったらずぶぬれです。デリーは大型トラックが日中は入れないので仕方がありません。

デリーからバンガロールまで普通の車で走り続けて3日かかるそうです。トラックは交通規制とかがあって夜中しか走らないので荷物がつくのは10日かかるといわれました。気温40度以上で10日間走ったら一体荷物はどうなっているのか?着いてみないと分かりません。いや、その前にちゃんと着くかどうか?

2010年4月24日土曜日

本物のインド大魔術

会社の近くにここ一カ月ほど見かけられた看板。妙にそそられます。これはショッピングモールにあるもの。オートリキシャの後ろにあったり送電線の鉄塔に取り付けてあったりかなり目につきます。

そしてこちらは屋上にある大きな看板。

OPシャルマというマジックショーだそうです。この雰囲気たまりません。右側の精一杯頑張ってるお姉ちゃんとか車とかゴリラとか一体何なんでしょう?これが本当のインド大魔術でしたが残念ながら見に行くことはできませんでした。

2010年4月21日水曜日

デリー探索&食べつくし&ビールの旅


東京からウルドゥー語を話すMさんが長期休暇でインドに遊びに来ました。成田が雪で出発が遅れ予定していた香港からの乗換デリー便に間に合わず夜中の2時過ぎに到着。それでも日曜日朝9時前から元気にデリー探索にふたりで出かけることにしました。

まずは朝ごはんを食べて元気をつけるぞ、と43度の天気のなかデリー一番の下町でイスラム教徒が多いジャマーマスジット近辺の料理屋に。場所は浅草雷門みたいな賑やかな通りから横に入ったところにあり普通ではまず見つからない。やはりここはウルドゥー語が話せる強み、5,6人に聞きまくりお目当てのカリームレストランに到着。ここの中で座っている人の下にある窯でナンを焼いています。



朝はこのメニューしかない。羊の足骨肉とどこかのお肉。辛いがうまい。Mさんナンを軽く2枚平らげました。一日外回りを乗り切るにはこれでないとだめです。

いくつか回ってそろそろ次はお昼ごはん。市内北にあるチベットコロニーがターゲットです。初めて来ましたが”ここはいったいどこ?”という雰囲気です。狭い路地に顔つきは日本人みたいな人がいっぱいいて中国製品もあるけどやはりチベット。

もちろんいたるところにダライラマの写真。旅行社の窓にはこんなものが貼ってあります。北京オリンピックの時に中国当局が決して放映させなかったチベットの旗のグッズもいっぱい。(中国のインターネットサイトではこれもみれないでしょうかね?)

お目当てのWongdhen Houseという小さいけどこぎれいなホテル兼レストランに。客の半分以上は西洋人。頼んだのはこの三つ。タンメンと水餃子と蒸しパンのようなものです。ビールはありません。ちょっとがっかり。ひたすら水です。

すぐ裏手はヤムナ川という市内を流れる川のそば。公園にはチベットの名物(名前はなんでしたっけ?)のお祈りの旗がいっぱい。決して洗濯ものではありません。

川には小さな橋がかかっていて水牛の群れがやってきました。デリー中心街からほんの10分でこんな光景にお目にかかれます。南市内と大違いです。

この後のどの渇きをいやすためにコンノートプレースのバーで昼間からビール、晩御飯は家の近くのタンドリ料理屋でケバブロール、シシカバブ、タンドリチキン。絶品ですがここもお酒は出ません。デザートにスポーツバーでクリケット観戦。デリーは負けてしまいました。

朝昼晩三食レストランで食べてバーを三軒まわって11時に熟睡。充実。


2010年4月20日火曜日

夏の危機 その2


家に帰ってみるとこの状態。今晩は停電しないことを祈るのみです。
インドの”明日”は永遠に来ない時もあります。

”バッテリーの水は蒸留水でないとだめ”というご指摘がありましたが、日本の水はちゃんと塩素殺菌しているからだったと思います。こちらの水は雑菌がいっぱいいてそのまま飲めないくらいだからバッテリーには使えるのではないでしょうか?

2010年4月18日日曜日

夏の危機

今年デリーは数十年ぶりの暑い気候。今日と明日の天気はこういう予報です。


室温は夜でも35度くらい。床と壁が暖かい。ソファーに座るとジワーっと熱が伝わってきてサウナ気分が味わえます。でも湿度が無いので寝室は空調を入れなくても扇風機でなんとかなります。


デリー市が3月頃”今年は停電は大丈夫”なんて発表し誰もまったく信じませんでしたがやはりここのところかなり停電が発生。普段はバッテリーのUPSが働くので大丈夫なのですが昨晩夜1時過ぎに停電、真っ暗になり扇風機も止まる。こうなるとさすがに寝苦しくなります。

懐中電灯を持ってベランダのUPSを見ると"Over Load"の表示で苦しそうに唸っている。バッテリーを見るとまったく水が無い。真っ暗な中でコップに水を入れて少しずつ水を入れましたが、、、それでもだめ。


朝になってエンジニアを呼びましたが直せない。じゃあいざというときのガソリン発電機が、とこれを確かめるとこれも動かない。明日まで待ってくれ。インドの”明日まで”には痛い目にあってますから期待しないで待つしかありません。

今晩停電したらその場で団扇の出動になりそうです。

2010年4月15日木曜日

A Happy New Year !

”新年あけましておめでとうございます”というメールを下にあるような絵と一緒に受け取りました。

今日はケララで”Vishu”、パンジャブで”Baisakhi”、ベンガルで”Poila Boisakh”、アッサムで”Bihu”の新年だそうです。 地方によって新年が違って他にも違う新年がありますが多くは収穫だったり田植えシーズンだったり農業に関係した区切りのようです。

デリーあたりはパンジャブに近いのでショッピングセンターにお祭り広場ができていたりシーク教のお寺で一日中音楽を大きな音で流しています。これなんかは日本の秋祭りという雰囲気です。







これでみなさん今年一年いいことがありますように。

2010年4月11日日曜日

どっちに回す? インド的発想?

バンガロールに出張。ホテルチェックイン時にちゃんとお風呂のあることを確認。このホテルは同じ料金でもシャワーだけ、お風呂なしの部屋もあります。ひと風呂浴びようとお湯を出そうとするがいつまでたっても生ぬるい。もしや?と蛇口のハンドルを反対にしたら熱いお湯が勢いよく出てきました。

下の写真が熱いお湯の出る位置。

HOTの矢印の方向、左回りに回すものだと思いましたが右方向に回す、が熱いお湯の出る方向です。

一体どうしてこうなるのか呆然としてしばらく流れるお湯を見つめて考えました。

仮説1:”ハンドルの下のほうを矢印のほうに移動しろ、と言いたいのではないか”

というのが最初の結論です。つまり矢印は回転運動の方向を意味するのではなく指示しているもの(これが何かよくわからないのがそもそも問題なのですが)"取っ手"の下の位置をあるところに移動しろということではないかということです。

もしこれが一般的ならこちらで地図を読めない人が多いというのは何か関係があるのかも?などというインド的哲学思索に入りかけましたが第二の説が突然ひらめきました。

仮説2:”単なる間違え”

真相は次回宿泊時にさらに追求したいと思います。

2010年4月5日月曜日

スラムツアー Delhi Slum Tour

DISHAというNGO組織、青年の船インド同窓会(SWYAA-India)の会長の方が主催しているスラムの子供たちのための教育活動の見学に誘われたので行ってきました。

デリー市内西にあるデリーカントンメント付近の小さなセンターに行くと入口でかわいい女の子たちから歓迎。おでこに赤いしるしをつけれられ、お米、頭から花びらの吹雪が舞い首にガーランドの飾りをかけてくれます。



教室に通されると子供たちでいっぱい。ここには200人近くの子供が来るそうです。大半は学校へはいけないらしい。


さらに奥に行くとなんと立派なヒナ段があって檀上に上がらせれてしまった。聞いてないよ。

歌やら踊りやら寸劇を披露してくれます。日本語クラスもあってSMAPの?(最近の日本の歌は分かりません!)”世界に一つだけの花”を日本語で歌ってくれました。

これは熱心に演じてくれた劇。どうやら”学校に行きましょう”ということらしい。


この後子供たちの住んでいるスラムに車で移動。スラムのなかにもこの活動拠点の小さな教室がありますがここには電気もない。卒業生の家庭を二件ほど訪問。写真はとても撮れません。

案内してくれた主催者が”注目を浴びすぎているからそろそろ行きましょう”と言われてスラムを離れました。ここにいる人たちは不法占拠者のはず。下手に外国人がきて当局から目をつけられても迷惑なだけなのでしょう。


子供は本当に元気。明るい。人懐っこい。そしてこのような地道な活動をまとめているインド人とそれにボランティアで参加している若い人たちがいるということに感動。

この後見学した日本人と市内で一番高級なVasant Kunjのモールのレストランで夕食。8時過ぎると満席でした。きれいに着飾ったお年寄り夫婦、街中では絶対見られないミニスカート女性だけの集団。とにかく金持ちそうなカップル。スラムの現実とこの格差たるや日本ではとても想像できません。

2010年4月2日金曜日

九九ではなく九十九表 Mulitplication Chart in India

Hauz Khasにある骨董屋でこんなものを見つけました。九x九表ならぬ九x十九表です。思わず衝動買い、言い値で買ってしまって後で考えるととんでもない値段。

会社の数人に聞いたところ”12まではやったけど19まではやってない”という答えが多いようです。地域・学校によって違うらしく果たしてどれくらいの人がこの表を使っているのか分かりません。


大きさは70センチx90センチくらい
壁に掛けてありますが今更なかなか12以上の9の段は覚えられません。