2008年12月26日金曜日

クリスマス

25日はこちらのクリスマス祝日です。でもクリスマス自体のお祝いはあまり盛んではありません。ツリーや飾りは一部の高級ホテルくらいで一般の商店では飾り付けやセールを大々的にやるということはないようです。この辺商戦に関しては中国のほうがずっと盛んとえいます。おそらくヒンズー教、イスラム教とも年中いろんなお祭りや行事があるのでキリスト教の行事までは付き合ってられないということではないかと思います。

とは言っても交差点のモノ売りがサンタの赤い帽子を売っていたりホテルなどでパーティをやるようです。ちなみに私のオフィスでも終業後敷地内に屋台とディスコ装置が取り揃えられお酒飲み放題、食べ放題、踊り放題のパーティーがありました。踊りはやはりこちらの人は大好き。まさにインド映画の踊りそのものです。普段はおとなしくてとても踊りそうにない人がしらふで踊り狂ったり女性も輪になって踊っています。特にパンジャブ系のアップビートヒット曲になると阿波踊りのように手をあげて盛り上がります。



動画画質良くありませんが雰囲気は分かってもらえると思います。

2008年12月18日木曜日

雷かテロか?

前回日本に帰ったときはちょうどムンバイのテロの直後だったのでみんなが”大丈夫だった?”と心配してくれたり”おお、生きてたか。死んだと思った!”などというひどい奴まで。

デリーはムンバイから遠く離れているのであの事件があっても直接大きな変化はありません。もともと爆弾テロはしょっちゅうあったし市内もいたるところ物々しい警戒です。

昨日のこちらの新聞で面白い記事。

”インドでテロで死ぬ確率は雷に打たれて死んでしまう確率の四分の一しかない!


一日当たりの死者数に計算するとテロで死ぬのは2人だが雷には毎日8人撃たれて死んでいる計算になるのだそうです。自殺者はなんと336人!交通事故の314人より多い。意外なのは二番目の事故死因は溺死だということ。でも年間にするととんでもない数、こうなると本当なのかと疑いたくなります。

あくまでも確率の話ですがそんなにしょっちゅうテロに会うわけにはいかないということです。

で今日の漫画がこれです。TOIとは"Times of India"この新聞のことです。


左のテロリストが”テロで死ぬ確率は雷より低いそうだ”というと右のテロリストが”うそこけ!”と言った瞬間に雷に打たれてしまうという落ち。

こちらはもっぱら”パキスタンがテロを仕掛けている”という意見が一般で、単にアルカイダ系が勝手にパキスタンの領土から侵入してきたというものではなくパキスタン政府も加担してインドの弱体化を狙っていると信じていてかなり不信感が強いようです。正直このあたりは日本人にはちょっと理解できないでしょう。

おまけ:これも今日の新聞から。今のグローバル化を茶化していて笑えます。



下記で新聞の印刷イメージが見ることができます。こうなったら新聞買う必要がなくなる!?
http://epaper.timesofindia.com/Daily/skins/TOI/navigator.asp?Daily=CAP&login=default&AW=1229608599984

2008年12月14日日曜日

お風呂が大変

しばらく日本に行っていて帰ってくるとお風呂場の湯沸かし器が増設されていました。こちらでは"geyser(ギザ)”という電熱器です。デリーには都市ガスというものがないらしくキッチンはことごとくプロパンです。お風呂場はとなると写真のような巨大な電気湯沸かし器で沸かすわけですが、入居時にあった物では容量が小さいらしくとてもお風呂に入れませんでした。それなりに立派な湯船があるのですがそこにお湯をためようとしても湯船に半分も入れるとほとんど水の状態。冬になるとシャワーも手際よく入らないとすぐに冷たくなってしまいます。私の前に住んでいたのは北欧の人だったらしく別にこれで問題はなかったのかもしれませんが日本人はそうはいきません。

なんとか湯船に半分くらいまで熱いお湯を張ることができお風呂らしきものに入ることができましたがそのあとはやはり冷たい水になってきました。あわてて体を洗って冷えないうちにさっさと出てくるしかありません。


これが最初の状態。この大きさでは満足にお風呂にお湯を張ることができません。

大きな容量のものを追加。これで何とかなるか?
たっぷりとお湯が出るというのはなんと贅沢なことなのでしょう。北京には温泉がありましたがデリーにはそんなものはなさそうです。

2008年11月29日土曜日

結婚事情

11月末から12月は結婚シーズン。近所でも週末は毎日大騒ぎです。職場の若い男性から”結婚式に来てください”ときれいな封筒を渡されました。ちゃんと外側に私の名前が"******-san"と手書きで書かれています。


         中を開けてみると...

        これでは全くわからない!!!

他のインド人に聞いてみると、一部はサンスクリットで書いてありかなり難しい言い回しになっていてこのような招待状は珍しいとのこと。

そのほかわかったのは、これは花嫁さんから出された招待状。花婿さんのものも別にありますがどうやら紙のものがなくなったらしく電子メールで別途添付されてきました。こちらでは花婿・花嫁別々に招待状を出すのだそうです。

左のほうに日付がありますが11月30日に花嫁親族だけの式が始まって12月2日まで式が毎日あり、われわれ非親族が参加するのは最後の日の午後だけだそうです。最初のほうは花婿は花婿で別々に式を行うので招待状も別々になるわけです。

ご両人はビハール州の人、お互い写真は見たし電話で話したことはあるけど実際にご対面するのは結婚式の日が初めてなのだそうです。デリー近辺ではさすがにこういうのは最近珍しいとこちらの人も驚いています。

式には出張で参加できません。誠に残念。

2008年11月23日日曜日

デリー空港税関 リターンズ!

(デリー空港税関のホームページの写真です。本文に出てくる登場人物とは一切関係ありません。念のため。)

2週間ぶりにインドに帰ってきました。今年になって入国審査のブースも増えていてほとんど待ち時間なし、しかも審査官は笑顔まで見せてくれる。うーむ、なにかこれはとても良いことか悪いことの前兆だろうか?

荷物がまわる回転台も増えていてスムーズに出てくる、しかもちゃんと入口に案内人が看板を持って立っていて”シンガポール便は何番”と案内までしてくれる。去年はいったいどこに出てくるのか全くわからない、そのうえ親切に荷物を取ってくれたと思うと制服を着ているのに”お金を頂戴”とせがまれたものです。うーむ、ますます怪しい。油断はできないぞ。

ちょっと荷物も多かったのでシンガポールで見送ったお酒でも買おうかと最近できた免税店を覗くと、同じ考えのようなインド人でレジは長蛇の列!こんなにお酒を買いたいならもう少し街中で買いやすくすればいいのに!

諦めて通関から最終出口を出ようとすると、来ました、茶色のガードが私のほうを指差して”あんた、ちょっと待ちなさい”。


私:何でしょう?

ガード:カメラは持っているか? ”カメラ”だ。(なんかこの人カメラが欲しいみたい)

私:持ってません。(ほんとはコンパクトデジカメ持ってるけど新品じゃないし)

ガード:これは何だ?(鞄を指差し)PCはあるか? 

キターーーー!ついに来ました。この日のためにこんなもんで通用するのだろうかというくらい誰でも作れる書類の”インドで購入したものであります”という会社名つきの書類が役に立つかどうかわかる時がきたのです。

私:PCです。しかも2台持ってます。しかし、一台はインドで購入したもので”書類”もあります。

ガード:行ってよし。


え、行っていいの? あっさり通過。

実はこの日デリーでは11000組のカップルが結婚式を挙げたという結婚ピークの日。渋滞で迎えの車が遅れていて未だ来ていない。時間はたっぷりあったから少しはかまってほしかったのです。あっさりと通してくれました。なんだか肩すかし。

教訓。やはり自信を持って堂々と返事をする、これが重要。

2008年11月21日金曜日

ロシアビール パート2

王府井のスーパーでまたまたバルチックビールを発見。これが前回買ったビール(http://frombeijingtodelhi.blogspot.com/2008/09/blog-post_20.html)

前回は9と5だったので今回は0に挑戦。お風呂上りにグーっと飲むのはおいしい。うん?でもなんか、なんかか違う。物足りない。もう一回グーッと、グーッと、、、、


???缶をよく見ると....
ノンアルコールでした!だからゼロなんです。思わず顔文字で "0"です。

しかたがないのでこれまたスーパーで購入したウォッカを入れて。うーん、これじゃ昔お世話になったホッピーじゃありませんか。紛らわしいものを作るんじゃない!

という投稿をシンガポール空港でデリー行乗継待合の間にやっております。今晩からインド。いよいよ北京ともお別れです。このあたりはまだじっくりと。

<おまけ>
北京周辺は雲ひとつない晴天。今日は窓際の席を取って景色を楽しみました。北京から15分くらいのダムのようです。とにかく緑が少なく一面茶色で川はほとんど干上がっています。

2008年11月16日日曜日

北京郊外 香山

で、この前のブログでも見えていた西のほうに見える山のひとつ香山へお昼前から行きました。以前いたアパートから天気とあまりないですが空気がよければよく見ていたところです。一回はどんな所か行ってみたいと思っていました。車で約一時間弱ほどで登山口に到着。紅葉はほとんど終わっているのにかなりの人です。北京から気軽に日帰りできる距離なので家族づれや若者がハイキングに来るようです。


駐車場をでると周りにお土産物屋がいっぱい。箱根か伊勢原大山の参道というところでしょうか。道はかなり整備されていて歩きやすく山頂と途中にちゃんとしたレストランがあります。
 やはりこちらでも甘栗がポピュラー、でも”天津甘栗”とは決して言いません。


 ここが入口。料金を払います。

 木のあるところに壁を作ったのか、壁を突き抜けて木が育ったのか?

 途中の休憩所。頂上とリフトがよく見えてきます。

 え?まさかここを登るんじゃないよね?え?やっぱりここを登るって?

後ろを振り返ると北京中心街がはるかに見えます。建設中の高いビルは国際貿易センタービル、真ん中に穴のあいているのは中央電視台。

やはりここを登るのでした。かなりきつい。汗が出てきます。ひたすら足元を見て地道に登ります。それにしてもハイヒールのお姉ちゃんとか本格登山のお兄さんとかランニング短パンのおじさんとかいろんな人が交じってます。

これは市内西にあるテレビ塔。アパートからこれが見えない日のほうが圧倒的に多かった。
 ついに頂上。海抜560メートルくらい、のはず。絶景です。


注意:これは万里の長城ではありません。念のため

行きは歩いて登り、帰りはリフトで一気に下まで降りてきました。頂上は風があって寒いので景色は最高なのですが早々に切り上げてふるえながらです。

近くにある碧雲寺という明代からあるというお寺を見学、孫文が死んだときに一時遺体が保管されていたそうです。山門で太鼓と鐘を打って幸運祈願。

打つ回数は決まっていて10回鐘をつくと十全十美でめでたしめでたし。


狭い山道のいたるところで物を売っている人たちがいます。アイス、紅葉で作ったカード、なんでここで、と思うようなおもちゃ、果物などなど。やはりこちらの人は商魂たくましい。

冷え切っておなかがすいたので市内で激辛い四川料理を食べて体を温め全身マッサージ。極楽気分。

くたくたでしたが爽快、絶景で大満足。もしかすると最後になる北京のいい思い出になりました。

今回もお世話になったW/J夫婦に感謝です。ありがとう!非常感謝!

2008年11月15日土曜日

北京好日

滞在しているアパートから見た今日の北京。最低気温はマイナス4度の予報。雲ひとつない快晴。王府井の北側で最近できたロッテ百貨店が交差点の角に立っています。おそらくこれがなければ故宮が少し見えたはず。

2008年10月29日水曜日

Diwali Night はうるさい! でもすごい!!

北京に戻ってきています。インドではまだブロードバンドではないので何度やっても大容量の動画がアップロードできませんでした。北京で動画をアップロードしましたので見てください。 10月28日はディワリというデリーでは一年で一番大きなお祭りの日。クリスマスのように家をライトで飾りつけ前夜は市内いたるところで花火が打ち上げられ煙が一面に漂います。それでなくても一か月以上雨が一滴も降っていない埃だらけの空気がさらに最悪の状態になります。 あまりにうるさいので引っ越したばかりのアパートのベランダから外を見るとすぐ近くからどんどん花火が打ち上げられています。今年は不景気なのと花火の値段が高騰、さらに販売免許も制限したために激減したとのとことですがこれで激減したのならいままではどんなにすごかったのか想像もつきません。こうなればとベランダにお酒を持ち出し花火見物。 新聞では”環境・安全のために花火なしのディワリにしましょう”と呼びかけていますが効果はないようです。夜の10時までということですがもちろんそんなことは誰も気にしません。

中国にいるのが原因かどうかわかりませんがどうやってもブログに動画がうまく設定できません。Googleビデオのアップロードは終了するのですが”現在再生できません。後で...”というメッセージです。下記URLから試してみてください。

www.google.com/s2/sharing/stuff?user=116065538953664880367

これから2週間ほど北京です。

2008年10月28日火曜日

タジマハール、うそつきは誰だの旅

インドにきてここに行かないわけにはいかない。会社の数少ない日本人のSさんも今年赴任でまだ行ったことがない。最初はガイド付きのツアーということも考えたのですが今回は下見ツアーということで自力で行くことにしました。

タジマハールは確かにすごい。何がすごいといって言葉ではあらわせないとしか言いようがありません。やはり本物は写真、ビデオ、本とは違うなにかがあります。天安門広場が広いと口で言ったもこればっかりはあそこのど真ん中に立たないとわからないのと同じでしょう。

タジマハール自体はみんなよく知っていると思うので以上でおしまいにしてタジマハールをみるためにどういう体験をしたかを紹介します。一言でいうと”誰が嘘つきか?誰が本当のことを言っているのか?本物は誰だ?”ということを次から次へと絶えず考えないといけないので良い訓練をさせていただいたということです。

朝6時に車で出発。デリーを出て2時間くらいしてマトゥラという町の近くにあるマクドナルドで食事。デリーを出たら後にも先にも道路沿いに我々が安心してはいれる食事休憩所はここしかありません。この写真だけをみるとアメリカ西海岸という風情ですが周りは全くインドです。もちろんメニューにビーフはありません。

             思わず感激して写真を撮るSさん。

そのあと小一時間くらいでアグラという市内に入りいよいよタジマハールという道路案内がでてその近くに来たらしい。駐車場らしき所に着きます。ここからが問題です。 ×(ブブー)と○(ピンポ-ン)で結果を判定。

問題1:見るからに怪しげな案内人、”ここに止めないと先にはないぞ?”→○これは実際そうでした。、

問題2:駐車場から歩き出すと待ってましたとばかりモノ売りが波状攻撃してきます。”この先に水はないぞ”→×まだまだいっぱいある。のどが渇いていたのでどうしようかと迷ったのですが結局は後でわかりますが買わなくても済みます。

問題3:リキシャが寄ってきて“門までとっても遠いぞ。乗って行け”→×ほんの5分くらい

問題4: この間にも”おれは公式ガイドだ。中は一杯見るところがあって一人ではとてもわからないぞ”→×そんなに見るところはない。”500でどうだ?”あまりにうるさいので”証明書を見せろ”というとにっこり笑って出したものには確かに公式ガイドと書いてある。しかし誰でも作れそうなしろもの。なんとか振り切ってやっと入り口に。

問題5:入口の前に長蛇の列。そうすると”俺はここの職員だ”という親切なおじさん。”見ろこの列、一時間から2時間は待たないと入れないぞ。俺に500払えばすぐに入れてやる”→×実際は10分くらい。

問題6:入場券をどこで買えばいいのか案内がよくわからない。それらしいところに行くとオヤジが二人木の机の後ろに座っている。”外人は750ルピー(1500円以上)、インド人は20ルピー(40円)”といわれてSさんもびっくり。本当にこいつら本物か?→○本物でした。外人料金の中にはペットボトルの水と裸足にならなくてもいい靴カバーがついていていました。水を買う必要はなかったわけです。さらにアグラ砦などの観光料金も含まれると書いてあったのですが....

問題7:デイバッグは持ち込み禁止。近くの預かり所に行けと言われます。これがまたいかにも怪しい場所で怪しそうな男二人が部屋に座って荷物が床にごろごろしている。もしかすると本物がほかにあるのではないのかとちょっと躊躇していると中から白人団体客が荷物を持って出てきます。→○本物でした。

問題8:セキュリティチェック。さすがにこれは自動小銃も本物。ライターなんか持っていたらその場で有無を言わさずゴミ箱生きです。→○本物でした



     ふと足元を見ると撮影禁止のサイン。まったく意味がわからない。

無事タジマハール観光を終えて近くの超高級ホテルでビュッフェランチ。さすがにここではだまされることはないのでリラックス。久しぶりにちゃんとした食事にありつけました。次の目的地アグラ砦に向かうことに。

問題9:途中大きな道の真中に突然バリケードが。すり抜けようとするとが我々を静止してこちらだと案内される方向に行くとそこは駐車場。地図上では立派な道路なので”この先にはいけないのか?”と聞くと脇の駐車場経由だなどととんでもないことをいいます。定置網に引っ掛かった魚同然、一網打尽です。中に入ろうとする運転手をSさんと必死に止めて”入るなあああ!!引き返せえええ!!”間一髪で間に合ってUターン、う回路でアグラ砦につきます。駐車場としては○ですがどう見ても公道をせき止めているとしか思えません。あのまま中に入っていたらどうなっていたのか?もしかすると本当に反対側まで通してくれる?なんてことは絶対にあり得ない。

問題10:タジマハールで買った750ルピーというとてつもない値段の入場券のうらには”アグラ砦料金含む”というようなことが書いてあるのですが”それを切符売り場に見せても通じない。切符売り場のそばに立っているおじさんが“ここは250ルピーだ”と言います。切符にこう書いてあるではないかと主張しても”それは税金分だけだ。とにかく250だ”と言われ呆然、わけのわからない案内板を見ていると、タジマハールで見かけた韓国人と思われるグループもおなじことをこのおじさんに聞いていたのですが彼らは納得できずそのまま入口方面に、このおやじ小さな声で”また戻ってくることになるのに”とつぶやきました。しばらくするとやっぱり帰ってきた。→○どうやら本物の職員だったらしい。

このおじさんきっと毎日毎日何百回と同じ質問を受けているのに違いないのですが案内板でもう少し親切に説明するとか入場券の説明にはっきりと‘アグラの入場料は別’とか書いてわかりやすくするという発想は全くないようです。考えてみればそんなことをするとこのおじさんの仕事がなくなってしまう。空港公園などこちらの公共の場所に地図もなく案内所もないのは迷ってしまう観光客を餌食にする悪質客引きや毎日同じ質問に答えるだけの職員を配置するためのインド国内産業振興の一環なのかもしれません。

ここまでの登場人物で制服を着ていたのはセキュリティーのガード一人だけであとはすべて私服です。悪質な客引きなのか本当に職員なのか素人には全く区別がつきません。もっとも制服を着ていても堂々とわいろを請求してくるのであまり意味はないかもしれないですが、どうしてこれが世界遺産に指定されたのか不思議に思えます。でもやはりそれはタジマハール自体が偉大だからでしょう。これら悪質客引きも一緒に世界遺産なのです。そもそも外国人から30倍以上の料金をふんだくる核保有国(先週は月までロケットを飛ばした)が一体インド以外世界中のどこにあるのでしょう?この国自体が悪質客引きとも言えます。






ちなみに帰りはデリー手前で大渋滞。行きは3時間程度だったのですが結局6時間以上かかりました。次回は列車でまた誰が嘘つきかを楽しむことにしたいと思います。

2008年10月27日月曜日

お引越し

しばらくインターネットに接続できませんでした。

これまでホテルというかサービスアパートという所に住んでいたのですがやっと普通のアパートに引っ越すことができました。今度はデリー市内の南東にあるニューフレンズコロニーというところです。ここを選んだ理由とか近所がどういうところかなどはおいおい紹介しますが引っ越ししてしばらく濃密なインド的経験をしています。

不動産業者の担当はアミット君、上手な日本語をしゃべります。なかなか好青年。

一週間ほど前に部屋の確認に行ってあれこれそろってないのを見て、
”大丈夫、引っ越しの日まですべて必ずそろえます!”との心強いお約束。

ところが、、、

1.カーテン
引っ越す前にカーテンを選べと言われたので選んだのですが。”ベッドルーム、客間を取り付けたらリビング分の材料がなくなってしまった。申し訳ないがリビングだけ違うのを選んでくれませんか?”
うーむ、どうも工事に取り掛かる前に全体の見積もりというものをやってないらしい?というわけで未だにリビングは薄手のカーテンだけです。

2.ソファ
同じものを2セット頼んだのに、あれ?色が違う。アミット君、”こ、これは、違います、ね。。。取り換えさせます。”ちゃんと業者は番号を控えていたはずなのにあれは何のためだったの?

3.インターネット
”引っ越した日から必ず使えるようにしてね、でないと引っ越さないからね”と何度も念を押してこれも”だいじょうぶ、全然問題ないです!”との心強いお言葉。引っ越し手続きもすべて予約完了し前日にブロードバンド業者が来るからパソコン持って確認に来てくれということで行ってみると、ブロードバンド会社のお兄ちゃんが電話線口に座って端末をじっと眺めている。1時間たってもまだ座っている。2時間たってもまだ座っている。そのうち電話をしていると思うとすくっと立ち上がり帰って行きました。

”アミット、ね、どういうこと?”

”今日は駄目でした。申し訳ありません。明日になれば大丈夫。また確認に来てください。何時になるか連絡します。”

そしてその明日が来ました。待てど暮らせど連絡がこない。こちらから電話をすると、

”申し訳ありません。このブロードバンド会社の回線がもう一杯で駄目のようです。(どういうこと?)特別に頼んでいますがダメならほかの会社にします。”

結局つながったのは10日あとの今日。

4.電源バックアップ
停電が日常茶飯事のインド。以前住んでいたノイダでは多い日は一日に30回以上停電です。このあたりは電力事情がかなりいいとのうわさ。アミット君曰く”でも念のためバックアップの発電機、インバータをつけます。これで完璧です。バックアップは全自動、これなら停電になっても何もしなくても大丈夫ですよ。”

引っ越しの次の日、お風呂に入ろうとして服を脱いだらいきなり停電。例のバックアップが働くはずと思って待っていても真っ暗なまま。服を着て周りを見ると停電なのはここだけ。上も下もちゃんと明かりがついています。数十分後業者が来て回復。でも、うーむ何のための発電機、インバータだったのか?



             ピカピカの発電機ですが。

          結局これのブレーカーが落ちてただけみたいです。

たった二日でこれだけの騒ぎ。これ以外にも実はまだ”あれ?ねえ、違うよねえ”がありますが書くのももうくたびれたのでこの辺で。

おっと、アミット君自体は一生懸命、とても熱心で本当にいい奴なのです。でも彼がいろいろアレンジするために依存しているインドのサービスシステムが日本人からみるとどうも信頼できないということです。すべてきちっと約束、計画、予定通りに物事が進むのが当然だと思っていると腹が立ってくる。信頼できるかできないか、それはこちらの気持ちの持ち方次第。これで別に問題ないじゃん、ちゃんとそれなりに快適に生きていけるんだから、外には屋根のない場所に住んでる人がうじゃうじゃいるんだからと思えるようになってきました。

2008年10月12日日曜日

プラーナキラーのインド古典舞踊フェスティバル

朝新聞を読んでいると今日からインド古典舞踊フェスティバルがデリー市内のプラーナキラーという古い砦跡で行われるという数行の記事を発見。夜の7時開演。でもそれ以外に全く何の情報もない。こちらには”ぴあ(デリー版)”も”デリーウォーカー”もありません。インターネットでもまず詳しい情報は見つかりません。とにかく問い合わせ先に電話を。電話がなんとかつながり”切符は不要、公園に入ればそのまま見ることができます”との案内。

6時前に公園に行くとガードに制止されました。”おいおい、7時からフェスティバルなんじゃないの?どうして入れてくれないの?”と新聞を見せてもとにかく”だめ”の一点張り。どうやら5時半で公園は閉まったから開演近くになったらもう一回来いということらしい。

どうしようかと迷っていると中からオートバイに乗ったお兄ちゃんが看板を持ってやってきます。看板には”舞踊フェスティバルこちら”と書いてあってそれを公園の入口に設置。これを見たわれわれの前にいた普段私が街中で歩いているところを決してお目にかかることができない上品そうな一家が中に突入。ガードは制止するそぶりなし。こうなればこちらも後に続いて強硬突入。時節柄いつ後ろから銃弾が飛んでくるかとひやひやしていましたが無事通過。


しばらく行くと会場が見えてきます。デリー市の後援があるだけあって入口には立派なパンフレットが置いてあります。

強硬突破の甲斐あってほぼ二番目か三番目の到着。前があいていて一段高くなっているところに席を確保。だんだん夕闇が迫っていい感じです。最初はガラガラでしたが開演前にはたくさんの人が立ち見です。





こちらでは何か始めるときにこうやって油に火をつけます。この人たちはVIP。

いよいよ開始。空にはくっきりと月が。後ろのほうにはデリー空港に到着する飛行機の明かりが数分おきに見えます。
今夜の演目はBharatanatyamといってチェンナイの踊り。デリーではなく南のほうの踊りです。




8時15分終了との案内でしたが終わったのは8時45分頃。とにかく広い公園、近所に住人がいるわけでもなく別に迷惑がかかるわけではないから終りの時間なんかどうでもいいじゃないですか。

このフェスティバル15日まで毎晩続きます。日中はまだ35度まで上がりますが夜になると涼しくて気持ちいい気候、きれいな月をバックに”テケテケドン、タ、テケテケタカタカ”(添付動画ファイルで音楽を聴いてください)というインド古典音楽を聴きながら舞踊が見れる。

”これでビールが飲めれば!”と思いますがこちらは公共の場での飲酒はご法度。ペットボトルの水をちびちびやるしかありません。

帰りに入口を見るとろうそくがいっぱい!上を見ると北京では決して見ることができないきれいな月

とてもいい催しものでしたがそれにしてもPRが足りない。でも考えてみると無差別なPRなんてものはしないというのがこちらの流儀かもしれません。ここにきている人たちの多くは今私が住んでいる地域の人たちとは、カーストというわけではないですが、明らかにクラスが違う。

わかっている人たちだけが来ればいい、そういう人にはインターネットでもなく、新聞でもなく、きっと通達される何らか別の仕組みがあるのでしょう。入口で配られた豪華パンフレットなどというものはどこにも置いてあるのを見たことがない。万人に対してPRをする必要はないということなのだと思います。