2010年9月26日日曜日

カフカ的ビザ更新外国人登録事務所(兼警察) 

ビザの更新。これまで6か月ごと更新しなければなりませんでした。24日が更新期限。デリーの時は半日x2回ですべて済んだのですがバンガロールでは合計6回外国人登録事務所(なぜか警察もある)に足を運んでやっと更新できました。

その事務所がとんでもない場所。おそらく70年以上前の建物のなかに事務員が本当に肩と肩をすり合わせて座っています。

こちらではまずトークンという整理券をもらうことから始まります。建物の外に机が置いてあってここでまず係官が書類を検査。この後ろに数十メートルの行列。これが無いと建物のなかに入れません。


この人が整理券をチェック。番号が来るまでひたすら待ちます。この日はいよいよ最終書類提出の日。券をもらうのに一時間、そのあと延々2時間は待たされました。中はさすがに写真は取れませんが100年前の役所とはこういうところだったのかという姿です。



小さな中庭のようなところにあらゆる種類の外国人がひたすらまちます。この人たちは座れるだけラッキー。私はこの日二時間ほとんど立ちっぱなし。

やっと書類OKの確認をもらって最後に3500ルピー程度(7000円)の更新料を銀行に振り込みに行って書類を提出。なんとか完了。当日夕方に受け取り。めでたしめでたし、と思ったら、私のパスポート期限の記載が間違っている!さすがにこれは次の日すぐさま修正してくれました。

日本の入管は知りませんがどう見ても数時間で終わる処理を延べ6日間にわたって延々とやらなければいけません。

原因は

1.提出書類が膨大
たとえば私の会社の総務責任者の身分証明、宣誓書なんてものから、地元警察署に行ってもらってくる住民登録に相当する住居確認書、アパートの賃貸契約全ページ、バンガロールに移動になった時の会社の証明書などなど山のような書類と申請書。

2.同じチェックを違う職員が何回もする
整理券をもらうためだけのためにチェック、建物のなかで3回くらい違う職員がチェック、最後に責任者のところに行ってまたチェックと承認のサイン。膨大な書類を何回も何回もチェック。こんなもの一人で一回やれば十分なはず。

3. 記載不備は一回に一か所しか指摘しない
ここが違う、とかここに書いてない、とかここにハンコが無いとか、一回にまとめて指摘してくれればいいのにそれぞぞれ担当が違うのか何度も指摘されてその都度並びなおし。

4.整理券は2日間しか有効ではない
書類はすべて揃っていても3日目からはまた整理券をもらうためだけに並ばなければ建物のなかに入れない。

でもとにかく一番の問題は場所が狭すぎること。何百人もの外国人が来るのにおそらく本来なら一度に20名くらいしか処理できない広さしかないということです。

そしてこちらではいつものことですが手続きの仕方の説明、案内所、案内係なんてものは全くなし。次は何をやればいいのか、どこへ行けばいいのか、その都度列に強引に割り込んで係員に聞くしかありません。とても現地人なしでは無理です。まさにカフカの小説に出てくるような世界が体験できるわけです。今回は”各駅”の旅でしたがおそらく”特急”の旅もあるのでしょう。

正直言ってこれが”国際都市”の外国人登録所とは本当に情けない。付き添ったインド人も”これでは恥ずかしい”との感想。今回は一年が取れたので来年までは来なくて済みそうですが3500ルピーも払ってるんだからもう少しましな場所にしてほしいものです。

2010年9月22日水曜日

ガネーシャ祭り

9月11日はガネーシャ・チャトゥルティというガネーシャのお祭りだったのですが18日からはそのガネーシャを水に漬けるという儀式が盛大に行われます。デリーではこんなに盛んでなかった印象です。

こういうガネーシャの祭壇が街中いたるところにあって泥で作ったガネーシャ像を川、海、池に漬けて返すわけです。

近くのウルソール湖にたくさん人が集まってきます。これは家族のものでしょう。昼間はまだ少ないのですが。

水の中に沈めます。湖が汚染されないように湖の一角に専用の場所が設けてあります。

これは地域の飾りでしょう。

政治家のポスター。We are all one. Wish U happy St. Mary's Feast, Gowri Ganesha & Ramzan Eid Mubarakと書いてあります。つまりキリスト教、ヒンズー教、イスラム教のお祭りがこの時期に重なるのでWe are all one、みんなで仲良くお祝いしましょうという呼びかけ。

家のすぐ近所に夕方になると近隣各地域のガネーシャ隊が打楽器集団を連れて爆竹を鳴らしながら集結してきて来ます。

トラック、トラックターが数えきれないくらい次から次へと集結。


VIPの前で演技を披露。動画です。

夜の湖。ものすごい人だかり。

大きなものはクレーンの荷台にいくつかまとめて乗せて水に落としていきます。

この後この池はどうなるのか?少しずつたれ流すのなら何の意味もなかったりして。

2010年9月19日日曜日

デリー国立博物館、インド海軍の展示または北斎

日本からの出張者を連れて休日デリー国立博物館に行きました。毎回新しい発見があります。前回は”日本海”が”東海”に書きかえられたのを発見しましたが今回はこんなものを見つけました。
なぜか国立博物館にインド海軍の展示室があるのですが北斎の版画、神奈川沖浪裏が使われていて富士山の頂上にインド国旗が。ここまでパクレば立派なもの、北斎も笑って許してくれるでしょう。

2010年9月17日金曜日

デリーに出張、ロータステンプル

デリーに出張。そろそろ英連邦スポーツ大会が始まるのでホテルの予約が取りにくくなっています。泊まったホテルの窓から下を見るとハトが芝生にいっぱい。


よく見るとなんとなくハトの形のようになっている?

ホテルはネループレースという秋葉原のようなパソコンマーケットの近くですが以前住んでいたニューフレンズコロニーからあまり離れてはいません。近くなのにまだ行っていなかったロータステンプルというところに歩いて行ってみました。



バハーイというこちらでは新興宗教の本山です。すべての宗教の本質は同じということを基本にして何教を信じる誰でも自由に来てお祈りをすることができます。

中は写真禁止。キリスト教の教会のようにいすが並んでいるだけで神様の像とか、絵とか何にもありません。ゴテゴテのインド料理のような宗教建築を見せつけられているのであまりにも呆気なくてあっさりしたソーメンが出てきて肩すかしを食らった感じです。
今年のデリーはとにかく異常に雨が多い。この日も大雨。すぐやむのですがここでは靴を脱がなければいけないので足の裏がびちょびちょになってしまいました。

結構外国人の観光客も多く思想的にはとっても共感できますが観光地としては率直なところ”世界三大がっかり”にノミネートしてもいいかと思います。ぜひ試してみてください。


2010年9月10日金曜日

エローラもすごかった

エローラはホテルからは45分くらい。途中にある山。すそを全て切り取って難攻不落の砦になっています。


アジャンタと同じように崖をくりぬいて仏教、ヒンズー教、ジャイナ教の順番に並んでいます。


ここは昔から知られていて近くの住民が動物をつないだりしていたためあちこちにロープをとめるための穴が開いていたりしてアジャンタより新しいのですが状態はよくありません。
仏像もこちらのほうが種類が豊富
三階建て、というより三階くりぬきの洞窟。

 
圧巻はこれ。世界最大のくりぬきヒンズー寺院。全て山を切り取ってできたもの。上から見ると目がくらみます。手すりも何にもない。
中は寺院になっていますが全てくりぬいてつくったもの。よくもこんなものを作ろうと思ったものです。残念ながらここで電池切れ。
アジャンタは繊細さにびっくり、エローラはスケールにびっくり。来た甲斐がありました。



2010年9月6日月曜日

アジャンタ・エローラ 筆舌に尽くしがたいです

日本人社員で旅行会。行きたいけどなかなか行けなかったところとしてアジャンタ・エローラの遺跡観光に決定。ムンバイから飛行機でさらに40分程度のところにあるアウランガバードというところにまず一泊。デリーから数年間だけみじかい間ですが遷都された古い町です。こんな素敵なホテルに宿泊。


初日はアジャンタの仏教遺跡。車で2時間程度はなれた渓谷に洞窟が並んでいます。植民地時代に虎狩りにきたイギリス人が偶然”発見”したそうです。もちろん地元の人は知っていたのでしょうがそんな歴史的価値があるとは誰もわかっていなかったというのが本当のところだということ。

でもそのおかげで古いものは紀元前1世紀に作られたとは信じられない状態で今に至るまで残ることができたというわけです。

すべて岸壁をくりぬいてつくってあります。道などはしっかり整備されています。


こんな壁画がまだナマのままで見ることができます。仏像にいたってはほぼどれも触り放題。本当にこんなのでいいのでしょうか、思わず心配。いずれこのように近くで見ることはできなるのでは?


たくさん洞窟がありますが基本的構造はほぼどれも同じ。後期になるとだんだんヒンズー教の影響が強くなっていくのが良くわかります。


これは製作途中で終わってしまった仏像。どういう理由でここで中止したのか?

2時間ほどの滞在ですが洞窟の数も多くそのどれもすばらしいの一言です。色も所々残っていてこれに色が着いていたとするとその華やかさはちょっと想像もつかない。

はっきり行って恐れ入りました。これは”本当に世界遺産の価値あり!”の一言です。

翌日はエローラの遺跡。 

<続く>