2009年9月28日月曜日

ドゥルガプージャ

29日月曜日は祝日で休み。何の祝日かとこちらの人に聞くと”ヒンドゥー教のお祭りでドゥルガプージャで9日間ナブラトリで最後がドゥシャラでヴィージャヤダシャミだから”という説明。最初は何度聞いてもよくわかりませんでした。 なぜなら聞く人によって少しずつ、もしくはまったく言うことが違う!

分かってきたのはドゥルガという女性の神様が悪魔をやっつけるということなのですが9日間かけて戦い10日目に勝利したその日がこの日ということのようです。 9日前から祭りが始まっていてその間にもいろんな儀式があり、女性のお祭りなので昼間は断食するという女性もいたり、普段は肉食の人もこの間は菜食、玉ねぎ、にんにくも食べないという人もいるそうです。

このお祭りは東インドのベンガル地方が一番盛んで近くにベンガル人コミュニティーがありそこのお祭りを見に行ってきました。 公園に大きなテントがいくつか仕掛けてあります。





東パキスタンからバングラデシュが独立したときに避難してきたヒンドゥー教徒たちがこの一帯にすみついてコミュニティーを作ったそうです。中にはこんな人形が飾ってあって前で大音響の音楽とお祈りをやっています。


これがドゥルガ様。乗り物はライオン。もっと怒るとカーリーというとっても怖い神様に変身します。

人出が多くなるのは夜7時を過ぎてから。歌やら踊りの出し物があるようです。 露店には”コルカタスペシャル”と書いてあります。

これは家のすご隣にあるお寺の夜の風景。とくに出し物や催し物はないですが普段はやらない電飾で飾り付けてあります。

飾りは祭りが終わると川に流します。ものすごいゴミになり有毒なペンキが使われて問題になっています。

最後に、今日は酒屋はすべて閉店。お祭りなのに。

2009年9月26日土曜日

コンベヤースシ

住んでいる近くでコンベヤースシ(回転寿司)があるという記事を発見。シンガポールから出張の方を連れて行ってみました。半信半疑、怖いもの見たさで行ってみると確かに寿司が回っています。かなり大きめの皿にぽつぽつと載っていてすべてに説明書が付いています。

料理は寿司だけではなくインド料理、タイ料理、さらにブルコギまであって、寿司を食べながらトムヤムクンを飲むという離れワザができました。味は北京の回転寿司よりはよっぽどよかったと思います。

日本人とみてマネージャーが試作品を持ってきました。貝を使って抹茶がまぶしてある創作寿司でしたがこれが結構いける! ”どうですか?”と聞かれたので”トッテモオイシイデス!”と答えておきました。

カリフォルニア巻きに負けず”デリーカレーロール”なんてものが今に出てくるかもしれません。

お店の情報はこちら⇒  http://www.theyumyumtree.in/restaurant-thegrill.asp

2009年9月23日水曜日

シンガポール その4

最終日。フライトは夜なので中華街へ行ってみました。 クラークキーからは地下鉄で隣、歩いても10分くらい。中華街なのに裏手にイスラム寺院が。その隣はヒンズー寺院。



インドにはたくさんイスラム寺院があるのでとくにめずらしくもなかったのですが入口を見てびっくり。なんと自動販売機が。でも考えてみれば日本のお寺にだって置いてある。インドで’自動販売機’などというものを見る事かできないので異様に思えたのでしょうか。



これが中華街入口のサイン。日本語まであって非常に分かりやすい。



夜はきっとここもにぎわうのでしょう。まだここの屋台はオープンしていません。


うるさい中国語のなかでも関西弁はよーく聞こえます。関西からの日本人観光客の皆さん。彼らなら中国人に対抗できるかも。



つきあたりに2年前にできたばかりのお寺があって中は絢爛豪華。一回から四階まで仏教のデパートという感じでしょうか。期待もしないで入ったのですが結構長い時間楽しみました。



これは一階のご本尊。椅子が並べてあったので何回かお祈りをするのでしょう。



上の階では仏教の紹介が分かりやすく展示してあります。





各コーナーに仏像が置いてあります。これは持って帰りたいくらいですね。



一番上の階は撮影禁止。まるでハリウッド映画に出てくるみたいな光景です。これは一見の価値があると思いました。

ホテルに戻って荷物を引き取る前に遅めのお昼御飯。陳福記で究極のチャーハンです。なんと空港にもありました。



このあたり夜はすごい人ですが昼間は信じられないくらい誰もいない。客は最初から最後まで私一人、ウエイトレスと中国語会話です。



デリーに着いたら入国審査が長蛇の列。迷わず人の少ない”外交官”の列に並んでしまいました。ここではちゃんと受け付けてくれます。やれやれ、インド(人)に戻ってしまいました。

2009年9月20日日曜日

シンガポール その3

シンガポール一の繁華街オーチャードへと繰り出しました。高島屋のなかにある紀伊国屋は巨大。下手な日本の駅前書店より日本語の本がそろってます。

すぐ隣にできたばかりのIONというショッピングセンター。ここでもF1のイベントです。中には無印良品、ユニクロなどが入っていて売り場は巨大。地元の人で大混雑。









地下にある日本食品。成田空港にあるような?




ユニクロのロゴが違う? 偽物か?品物は本物でした。




買い物の袋。日本と変わらない。





晩御飯はホテル近くの沖縄料理屋。グルクンのから揚げ、ラフティ、島ラッキョウのてんぷら、このあと焼きソーメン。オリオン生ビール中二杯。これで日本円4,000円は高いぞ! でもデリーではどんなにお金を出しても食べられません。本は紀伊国屋で買ったもの。





クラークキーの夜。昼間は何にもない歩道にテーブルがいっぱい。





おまけ。

シンガポールはFINE CITY。川沿いの道路下地下道にあった標識。自転車に乗って1,000シンガポールドル(7千円弱)の罰金は日本料理並みに高い!インドででやれば効き目があるかと一瞬思いましたが...警官がわいろで見逃すだけだろうから効果はないでしょう。



シンガポール その2

空港でワンタン麺の朝ごはん。ホテルまでのタクシーは快適なベンツでした。空港のいたるところに案内があり人がちゃんと対応してくれる。タクシー乗り場にも配車係がいて本当にスムーズです。デリーとは大違い。 やはり文明の力は偉大。

ホテルはクラークキーというところ。日本でいえば横浜のみなとみらいのような感じで最近再開発された場所だそうです。バー、レストランがたくさん。驚くのは日本料理屋が多いこと。

目の前の川を屋形船のような観光船近くを一周しています。



近くのショッピングセンタに明治屋があってほぼ日本のスーパーと変わりはありません。デリーでは決し入手できないもものを素早く買いだめ、紀伊国屋で日本語の本も購入。お昼はぼてじゅうで豚焼を食べたらその前にはサイゼリヤが。一体ここはどこなんだ?



古い町並みを再現。一角がアーケードのようになっているので雨が降っても大丈夫。インド人観光客を見ると他人とは思えなくなってきました。



これは北京にもあった台湾料理屋。懐かしい。





夜はこちらのKさんの案内で中華屋台へ。シンガポール名物チリクラブ、とペッパークラブ。久しぶりの海鮮中華に大満足。シーク教徒が中華を食べているのを見て驚き。北京ではインド人は珍しい、デリーには珍しく中華街がない。はじめて見るインドと中国の混合は新鮮です。

どの蟹にするか、自分で指定。



左がチリクラブ、右がペッパークラブ。甲乙つけがたい。



テーブルの後ろを見るといつの間にかアフリカ系の人たちが大勢でサッカー観戦、ケニヤにでも来てしまった錯覚。



この時期はヒンズー教のナブラトリというお祭り、イスラム教の断食明け(21日)、中国人は中秋節の準備とみんなそろってお祭り気分一色。インド人街はこんな感じのネオンサインでにぎやかです。去年はもっと派手だったとか。



そのあとホテルの近くのビールレストランで飲み直し。このお店はいろんな種類のビールを小さなグラスをマークの上に置いてくれて飲み比べることができます。デリーでビールの種類は限られているので本当にうれしい。しかもオープンな場所で飲めるのはたまりません。



ホテルに帰ってもかなり遅くまでディスコ音楽が流れていました。

2009年9月19日土曜日

シンガポールで自分のインド化に気づく

来週はF1グランプリが開催されるシンガポールに来ています。デリーからのシンガポール航空便は満員。隣にインド人二人組が座ります。離陸に向かって走り始めて目の前のモニターの大きな”携帯の電源は切ってください”というビデオを見ながらまだ平然と携帯で話し続けます。
ついに男性客室乗務員が来て”携帯はお控えください”とお願い。ところがその場はいったん切ってもまたかけなおして楽しそうに話し続けます。さすがに最後の辺になると切りましたが今度はスッチーが最終確認に来て”背もたれとフットレストを元に戻してください”とお願い。一度元に戻すもののフットレストを出してとうとうそのまま離陸してしまいました。

携帯はさすがに”危ない”と本人も分かっているので離陸直前にやめるのでしょうが、考えてみるとなぜフットレストを元に戻さなければいけないのか、その理由が説明されないのでなぜそうしなければいけないのか理解できない。だから指示に従わないのではないかと思います。日本人なら指示が出されるとその理由が分からなくてもとりあえず従いますがインド人は自分が納得しないと自分に都合が悪いことをそう簡単にそのまま聞く人たちではありません。

前置きが長くなりましたが、本題はシンガポール空港到着後の入国審査のかなり長い列待ち。シンガポール住民の列の隣の外国人列に並んだのですが当然先にシンガポール人ブースは人がいなくなる。ここで私の足が半分そちらに動きそうになりました。なにせデリー空港は外国人、インド人とサインは出てるけど並べばどちらでも早い者勝ちが常識です。でも掲示板サインが変わらないのでちょっと迷っているとすかさず後ろで待っていた家族連れがシンガポール人用ブースに向かいます。やられた!、と思ったら女性審査官”あなた、シンガポール居留人?このサインが読めないの?元の列にもどりなさい!”と一喝。一番後ろに後戻り。

でもこの審査官、外国人側の列の一番前の人に声をかけて処理を受け付け始めました。今度はこれを見た前の方のインド人が列を飛び越してシンガポールのブースに向かう。女性審査官”一番前で呼ばれてから来なさい、元の列に戻って!”とまた厳しく一喝。

ざまあみろ、と心の底で喜びましたがよく考えると私ももう少しで同じことをする一歩手前でした。でもインドではこれでないとスーパーの預かり荷物なんか一生待っても受け取れないし、マックやケンタッキーでは注文を受けてもらえずお昼飯が晩飯になってしまいます。

文明の息吹にはもう少し頻繁に触れていないと本当にインド人化してしまうかもしれません。

2009年9月13日日曜日

Hauz Khas

以前にも行った洒落たギャラリーや骨董屋などがあるハウズカース・ビレッジというところに行きました。水彩画の個展で気になるものがあったので行ってみたのですがまあまあというところでしょうか。 ここのところ少し涼しくなってきたので池の周りを一周

イスラム教の学校の廃墟が反対側に見えます。


反対側に人はほとんどいないのでシーンとして水鳥がいっぱい。


振り向くとアヒルの団体がこちらを警戒。近づいても逃げません。


デリーにはこのような遺跡がいたるところにあるのですが保存がキチンとされていないところがたくさんあって人が住み着いてしまうのだそうです。ここはちゃんとしています。

2009年9月6日日曜日

空軍博物館

デリー空港のとなりにある空軍博物館に行きました。なんと入場料無料! 



めずらしく持ち物、ボディーチェックもありません。一応軍と名のつくところだから厳しいかと予想していたら拍子抜け。中に入るといきなりB24が。でかい。


隣はキャンベラというジェット爆撃機。なんで操縦室を真ん中に配置しなかったのでしょう?



71年パキスタン戦争の戦利品。このあとも国境をめぐって紛争を経験しているだけに不信感が強いのもうなずけます。

飛行機の残骸。丁寧に塗りなおしてあるのでなんかリアリティがない。







格納庫のなかに入ると飛行機がいっぱい。


名機スピットファイヤーです。第二次大戦後のものなのでプロペラが3枚ではなく5枚。後ろは有名な将軍だそうです。シーク教徒ですがさすがにターバン巻いて操縦するわけにはいかなかったでしょう。


ジェット機になるとソ連製になってきます。今でも最新鋭のジェット戦闘機はロシヤ製。


この人はパキスタン戦争のとても有名な英雄だそうです。なぜなら、


対空砲火を浴びてこんな状態で帰還したのだそうです。まさに奇跡の生還というところでしょうか。





その隣になぜか日本の特攻機桜花が。なぜここにあるの不明。


外に出ると確か函館に飛来したミグとおなじものが。



こちらは少し小型のMig21。


”柵のなかに入ると罰せられます”とかいてありますがそんなことは誰も気にしません。触り放題好き放題です。


なぜかフォードが。空軍の公用車だったそうです。飛行機はすべてソ連にしたのになぜ車は米国製だったのか?やっぱりアメ車のほうがソ連よりかっこよかったから?


室内の展示室はほとんど面白いものはなし。でも第一次大戦からイギリスの航空部隊で参加していたとは意外です。 笑ったのは下の写真。説明のお人形さんがやけに可愛い。しかも目が青いです。