2008年4月26日土曜日

クリケットとチアリーダー

こちらで一番人気があるスポーツは何といってもクリケット。驚いたことにこれまでインド国内の地域別リーグ戦というのがなかったらしく先週から初めて8都市のチームでリーグ戦が始まってメディアをにぎあわせています。IPL(インドプレミアリーグ)といってイギリスのサッカーを見習ってはじめたようです。海外からのプレーヤーもかなりいるようです。


今日午後テレビで生放送をやっていたのはKKR(コルカタナイトライダーズ)とCSK(チェンナイスーパーキングズ)。KKRのオーナーはインドで今一番人気のある俳優シャールクカーンがオーナー。テレビ、看板なんかで本人自ら出てきて盛んに宣伝をやってます。今日のデリーは41度ですがちょっと外を歩いただけでくらくら来ます。こんな暑い中で日中こんなゲームをするなんて自殺行為です。しかも野球のように3アウトチェンジというわけではなく、延々と攻撃と守備が続き一時間くらい見ていましたが攻守の交代はついにありませんでした。はっきり言ってだらだらとあまり盛り上がりもなくひたすら続きます。野球なら満塁になったとかありますがフィールドの攻撃プレーヤーは二人、これが行ったり来たりどうなってんだか。点数も一点ずつ入る割にはこの時点で100くらいのスコアー。国際試合では何日も試合が続くということもあるらしい。誠に悠長なスポーツです。このリーグはテレビ放送を意識して2時間くらいで終わるようになっているという話ですがこのあとどうなったのか付き合う元気もなくなったので結果はわかりません。





驚いたのは試合中にアナウンサーと選手が無線で話をしてこれが放送される。この人れっきとした外野の選手で現在守備中です。




新聞で話題になっているのはチアリーダーの存在。何せこちらにきてミニスカートを街中ではいているのを見たのはこれまでに一回だけ。(スッチーとか一部職員の制服は除きます)北京の冬よりスカート率は格段に低い、というよりほぼゼロです。そんなお国柄ですからカザフスタン辺りから来た金髪のチアリーダーがおへそ丸出しのホットパンツで”わいせつに踊る”などというのはけしからん、ということでムンバイでは警察が取り締まるとまで言いだしたとのこと。また彼女たちも試合中にさまざまな嫌がらせを受けているそうです。テレビのコマーシャルなどでは結構きわどい恰好でセクシーな踊りを踊っているのもあるのですけど何がよくて何がいけないのかよくわかりません。





こちらはチェンナイチーム。かなり抑えてあります。
ホームだからか?はたまたオーナーの方針なのか?







こちらはビジターのコルカタチーム。さすが映画俳優のオーナー、思い切りがいいです。






そういえばこちらではウエィトレス嬢などというものにあった記憶がありません。店の前に立って客の案内をするj女性はいますが、マクドナルドのカウンターもすべて男です。あるインド人に聞くとそういう客商売のような場所で女性を働かせるのはモラル上よくないと考えられているそうです。

大衆食堂のウエィトレスは野暮ったくてうぶそうな地方からきた若い女の子と相場の決まっている北京とまた比べてしまいました。

2008年4月25日金曜日

トイレで気絶

こちらに来る前に北京でR氏から“インドには絶対行きたくない。ひどい目にあった。下痢なんてものではない。上下両方から攻撃だ。吐くか下から出すか便器に座って究極の選択をしなければいけない”という話を聞かされていました。まさか私もこうなるとは。


先日朝出社前から下痢が始りこれは何とかなる程度のものでしたが途中から強烈な頭痛、仕事にならないので昼前に早退して家に帰ったら37度8分の熱。頭も相変わらず耐えがたいくらい痛い。トイレには数時間ごとに行かなければならない。シンガポールの空港でこんなこともあろうかと買った風薬を飲んでベッドに。何せ中国では薬も漢字表記なのでいったいオリジナルの薬が何なのかわかりません。

←よく見たら韓国製でした

夜中に目が覚めたら38度8分。トイレに行ったら今度は吐き気がしてきた。R氏が言っていたのはこれだ!便器を抱えてしゃがみこんだら今度は下から漏れそう。朦朧とした意識の中で立ったり座ったり。冷汗と発熱であっという間に全身びっしょり。やはりこれは吐き気だ、と自分なりに究極の選択をしてしゃがんだところで意識がなくなっていたらしく気がついたらトイレの床に倒れている自分を発見。完全に気絶していたようです。そのあとも何度か病院へ行こうかとも思ったのですが、こんな夜中に連れて行かれる病院もどんなもんだかわかったものではない。熱にうなされながらそうこうするうちに寝てしまいました。

こちらの人が言うには”この時期はインド人もこういう症状になる人が多い。Indian Fluだ。私も先週なった。季節の変わり目で40度を超える気温になり極端に乾燥していて細かいほこりが舞うのでその中に病原菌がいっぱいいるのだろう”とのこと。確かに牛のふんやら残飯やら生ゴミやら何かわからんものが街中の至る所にそのまま放置されているのでこれが高温乾燥になり細かいちりとなって空中を漂っていることは十分考えられます。



次の朝になると熱はすっかり下がりましたがやはり下痢は継続。


北京ではこんなことは経験しませんでした。やはりインドはすごいところです。

2008年4月21日月曜日

ムスリム寺院ジャマーマスジットに

というわけで、偉大なる運転手マノージは次なる聖地、ジャマーマスジットに私を連れてくのでした。



ジャマーマスジットとは”金曜礼拝”の場所ということらしく、金曜日はこのあたり人ごみで大変なことになるらしい。マノージいわくこの辺んのムスリムは大変、とのこと。あまり多くは語らないけどやはり宗教的な関係は複雑です




で、この入り口で靴を脱いでいると明らかに日本人とわかる(人のことは言えない)おじさんが入口で係員に何やら大きな声で叫んでいる。"You are a liar! Liar!, Lia-------r----!”  と叫びながらで出ていった。入場料のことで何かもていたらしい。マノージが"You cheated?" と係員に言ったらものすごい剣幕で"Cheated? Yes, we cheat! Cheat, cheat, cheat!!!"と怒鳴りまくり。おいおい、ここは神聖なるムスリムの寺院ではないか?モハメッドは汝、"人をだませ"なんて言ったのか?と言いたくなったけど彼らも彼らなりの生活があるのでしょう。要するに金持ちからお金を少し余計にもらうことは決して神の摂理に反することではないということではないでしょうか。


中はこのように神聖な雰囲気。ムスリム寺院に入るのは生まれて初めてですから結構緊張。なにやらグループでひそひそ話をしている一団とか、ひたすら礼拝をしている人とか。偉大なる運転手マノージは心得ていて、ここで写真を撮れといわれてとったのがこれです。



靴を脱ぐので裸足になると地面がとてつもなく熱い。二歩、三歩は何とかなるが今日の天気はおそらく40度。4歩、5歩も歩くと熱くてたまりません。というわけで中庭にはこのように敷物が敷いてあってこの上をみんな歩きます。不思議なのは中庭の池の周りは大理石でできていてここの大理石の上はひんやりとして全く熱くありません。マノージいわく、”大理石は熱を吸収する。ここの大理石は**インチあってどんなに周りが日中熱くてもここはひんやり”だそうです。すいません何インチかはもう暑くてボーとしていてい忘れてしましました。 
前は浅草のような感じ。詳細は.....結構すごい。

2008年4月20日日曜日

ラールキラーもしくは Lal Qil'ah, or Lal Qila

いくぞ!との声でマノージに導かれ次なる聖なる場所に。

今度はイスラム建築のラールキラー(Red Forest)です。何を隠そう、天安門と故宮で裏ガイドができるとまで言われた?くらいです。ちょっとやそっとの宮殿では驚きません。どんなもんかい、見せてもらおうじゃないかと思ったら、駐車場がどこもいっぱい。何か所も回ったあげくに運転手マノージ”ここは危なくて車を離れることができない。一人で行っ てきてくれ。いいか、貴重品はすべて身につけろ、デイバックには貴重品は入れるな、Be vey very very very very very (x 10 の2乗位), care care care carefully! "と言われて心配そうに道を渡るのを見送ってくれました。信号のない4車線位の道は北京で慣れてます 。コツはまずどんなに広い道でも安全だと思ったら行けるところまで行く、そのあと悠然と立ち止まって真中ででどうするか考えるです。たいていの場合車がよけてくれます。少なくとも今までは。


難なく4車線突破、城壁の中に入ります。これが外の城壁。故宮と比べると優雅さがあります。故宮はあくまでも実利的です。








セキュリティーチェックを入るとこの門。この先にお土産屋が並んでいます。バザールとはこういうものかという初体験をしました。











途中省略。延々と歩くとこのような建物に。








なかは装飾が施された柱と天井。








柱から天井から象嵌の装飾です。ただしいたるところほころびていたり壊れていたり。これが世界遺産?と思うくらい維持ができていません。故宮なんかどこもピカピカ’になろうとしているのに悲しいくらいぼろぼろのところがいたるところに。がんばれインド!と言いたくなります。









出てきたら入口はこの状態。インドではショッピングモールでもそうですが公共施設では必ずひとりひとりセキュリティーチェックがあります。ボディーチェック(かなりいい加減)、と持ち物検査(これもいい加減)で、男と女と別れています。さらにここでは土嚢を積んだチェックポイントが何か所かあって自動小銃をいつでも撃てる状態にして警備の兵隊が警備しています。

やはりテロで首相が死んでいる国は違います。




日本は平和です。

ガンジー記念公園


2回目の日曜日。今日はガンジー記念公園、ラールキラー(Red Forest)、ジャマーマスジッド(Jama Masjid)の三か所に行きました、というより連れて行かされました。ほとんど運転手の言うなりです。

やはりインドに来たからにはまずガンジー様にごあいさつでしょう。ここだけは別世界のようにきれいに掃除、整備が整っているし何より入場無料です。ちなみにこちらの公園は外国人と現地人では切符が違い値段も10倍くらい違います。またビデオの持ち込みにはお金が取られるところが多いのですが静止画カメラは取られないようです。運転手が言うには”友達がS社のすごい携帯を持っていて動画も静止画も撮りまくりだ”と言ってました。テクノロジーの進化についていくのは大変ですね。この場所に入る前には靴を脱がなくてはいけません。靴を預かる場所も二か所あって勝手に自分で置いておくところとお金を払って預けるところがあります。

ベン・キングズレー主演のガンジーの映画をテレビで(残念ながら途中から)見たのですが確か暗殺されるシーンで”Oh my god!"とガンジーが言っていた記憶があります。この記念碑には"हे राम"と書いてあってこれがその言葉らしいのですが何せ運転手とのおぼつかない英語の会話ですからもしかすると間違っているかもしれませんのであまりあてにしないでください。




せっかくだから何か記念にとお土産屋に入るとこんな本があったのでゲットしました。中をあまり読まないで買ったのですがインド独立50年を記念した時の出版物らしいです。(ということは1995年?)英語、ヒンディー、日本語で書かれています。今度じっくり読んで見ようと思います。








で、運転手(ちなみにマノージといいます)”見たか、写真撮ったか、次いくぞ”とせかされてラールキラーに向かいました。

次回続きます。


アパート周辺 partⅡ

周りの状況をもう少しというお問い合わせに答えて朝屋上に上がってみた写真です。

建設中のMETRO。これがデリーまでつながればかなり便利になるはず。









反対側。この先にSectror18という大きなモールなどが集まっている商業地域があります。北京では大きな建築現場は朝早くから夜の12時過ぎても蟻のようにたくさんの人が働いているのが見えますがここでは働いている姿がほとんど見えない。2010年の英連邦スポーツ大会に本当に間に合うのかなあ、と運転手に聞いたら運転中のハンドルを放しながらげらげらと大きく笑って答えてくれませんでした。




目の前の通りの中央分離帯には牛様が。朝ごはんを食べてひと眠りというところでしょうか。 普段は4本足でたっていることが多いと思います。 一番右側の牛の近くに野良犬も横になって寝ています。気をつけないと歩道でもこうやって寝ているので踏みつけそうになることがあります。人だけではなく犬も気をつけて歩かないといけません。

2008年4月19日土曜日

Qutub Minar クトゥブミナール

先週日曜日の午後に時間ができたので市内観光に。運転手に一か所だけどこかにというとここに連れて行ってくれました。名前が日本語ではクゥトゥブミーナールなのですが英語ではQutb Minar, Qutub Minar, Qutab Minarといろいろ表記があります。ヒンディーでは क़ुतुब मीनार ウルドゥでは قطب منار と書くそうです。文字化けしないで読めてますか?ちなみに町中の看板は大きなものはたいてい英語のみもしくは英語ヒンディー併記ですが小さなものなどになるとヒンディーしかないものもあります。
ものの本によると”奴隷王朝のスルタンクトゥブウッディーンという人がヒンズー教に対する勝利を祝ってアフガニスタンにあったジャムミナレットを見習って建てた”ということです。


運転手が言うにはデリーにヒンズー教の見るべき古い建物はないそうです。やはりイスラム統治が長かった影響が大きいのでしょうか。この運転手、どこから何をとるかすべて心得ていて”ここに立ってあれを撮れ、午後は光線の具合はあっちのほうがいいからあっちで撮れ、ここまで下がれば全部が入るから後ろに下がれ”と、とことん細かく指示をしてくれます。 確かにご指摘すべてごもっともなのでありがたいのはありがたいのですがそういうもんでもないでしょう。でも初めて観光らしい観光ができて感激でした。



鉄でできている塔。なぜかさびないのがインド大魔術。これを背にして後ろに腕をまわしてつかめれば世界が征服できるとのこと。以前は試せたのですがさすがにあんまりみんながすると汗でさびるので今は触れません。









映画の撮影もされるそうです。カップルのデートコースでもあるようです。

2008年4月12日土曜日

アパート周辺


無事散策から戻って来れたので続きができます。

アパートがあるのはノイダと言ってデリー市内から川を隔てた東側。東京でいえば川崎というところでしょうか?新しく開発をしたところらしく区域の名前はSector##と呼ばれます。アパートのあるところはSector-16, 開発オフィスがあるところはSector-57という具合です。外国人には取っ付きやすいかもしれないけどまったく味気がないし私のように数字が苦手な人間にはかえって覚えにくい。ヒンディー語で”)(&*()*)((:><"とか言ってくれたほうが最初は大変かもしれないけど一度覚えればなかなか忘れないのに。


これがアパート。一階がマクドナルドでドライブスルーもあります。はっきり言って周りから完全に浮いている。建物の前にリキシャが待っていて客引きされてしまいます。







目の前の通りはメトロといわれる地下鉄(ほとんどは地上を走るが一部地下)の工事が2010年の英連邦スポーツ大会前の開催を目指して工事中。これができるとかなり便利になるはず。なにせ今は自力ではほとんど身動きできません。







少し歩くとこんな感じ。遠くに見えるMがアパートのマックです。この人たち何をやっているのか全く不明。この文字の意味?まだ読めません。












しばらく歩くとマーケット街。うーん、アジアの匂いがぷんぷんしてきます。













中国もすごいけどこれには負けますね。なくなってしまった香港の九龍城を思い出します。こんなのが市内いたるところにあるわけです。

 

 

 

 

 

 





衛生状態は最悪。これはまだいいほうでもっと大きなどぶ川がこの先にありました。北京もすごいですがここのほうがもっとすごいのでは?あまりのすごさに掲載は控えさせていただきます。



















バスのドアは運転手側も客側もほとんどあけっぱなし。動きながらどんどん人が乗り降りします。このバスはきれいなほうで中国でもとてもお目にかかれないようなバスがいっぱい走っています。













 

歩いていて北京との差と共通点にいくつか気づいたのですが、よーく前と下を見ていないととんでもないことになる。突然歩道に穴があいている、変なものが出ているというのは北京でもよくあることですが、寝ている、若しくは生き倒れになっている人を踏みそうになるというのはさすがに北京ではありませんでした。老人が倒れていたのか、寝ていたのか、はたまた死んでいたのかよくわからないのですが歩道に横になっていてこれが周囲に全く溶け込んでいて気付かずもう少しで踏んでしまうところでした。また狭くなっている歩道で毛布にくるまって寝ているおばあさんも危なく踏みつけるところでした。こちらは明らかに睡眠中だったようです。


あともう一つは北京の繁華街では50メートルも歩けば必ずといっていいほどいろんなクラスのレストラン、若しくは食堂のようなものがあり我々でも入れますが、ここには立ち食いのスナックがあってもそれなりの食事ができる店というのが全くと言っていいほどありませんでした。ときどき高級インド料理店があるくらいでしょうか。家族で外食をするという文化は中国が最も発達しているということでしょう。


というわけで、さて、今日の晩飯困ったものだ。この間にも停電が数回。やばい、この辺で。

巨大モールにショッピング

会社の帰りに当座の必要品を買いにショッピングモールに、ついでにカレー以外の食事があるか探してみたら一応中華らしきものがありました。焼きそばと小ろんぽうのようなものを注文したのですがすべてチキンかベジタリアンで豚、牛類は全くなし。でも久しぶりにカレー以外のものが食べられました。地下から4階までかなり巨大なモールです。北京に比べるとブランドの種類が豊富です。 北京はどこに行っても同じブランドのものばかり、あまり種類もなくたくさん店があっても選択の幅があまりありません。でも一応のものはどこでもまず手に入ります。 こちらはまだこの手の店は少ないらしく近所にスーパー、コンビニのようなものは皆無なので何かあればここに来るしかないようです。

地下のスーパーに行くと入り口で警備員が持ち物全点チェック、ほかの店で買った袋にビニールのひも(一度閉まると元に戻らない電源コードをまとめるようなやつ、たしか中東で米軍が容疑者の手を縛るのに使っていたような)ですべて封をされます。レジは全部むつけき男がずらっと並んでいます。女性のレジ係に慣れていると一瞬異様な感じです。しかもレジをたたくお兄さんとちゃんと袋に入れるお兄さんの二人がかり。勘定が終わると同時に袋詰も完了。これは楽ちんです。ここでも精算が終わるとビニールひもで封をされます。レシートはレジのお兄さんが何やらサインをしてそれを出口の警備員に見せないといけません。警備員がレシートにパンチで穴をあけます。何の目的があるのかよくわかりません。分かった人ぜひ正解を教えてください!

で、何とインドにもカップヌードルが。これまたチキンです。あとマギーのカップめんが、これはネッスル製。ジュースはあるのですがミルク・ヨーグルトが見当たりませんでした。もちろんサトウのご飯なんてものもない。でもナンの類のものが山ほどありました。まだまだ非常食探しの冒険は続きます。 はやく何とかしないと胃が持たない。


と、このブログを書いている間にしばしば停電。ネットワーク回線もやられてしまいたびたび再接続操作をしなければいけません。。土曜日の午前中ですが30分に1,2回は発生しています。オフィスでも4時から5時になると必ず数回停電になります。コンピュータだけはバックアップ電源なので真っ暗な部屋に煌々とパソコンだけが光っていて真黒な人達が何事もなかったの如く大きな白目を見開いて仕事を続けているのも異様な光景です。
今日はこれから初めて周辺散策に出かけます。果たしてどうなることやら。もしかすると早くもこれが最終号になったりして。

2008年4月11日金曜日

部屋


こんな部屋です。サービスアパートで掃除が毎日入ります。

インターネットは無線。




小さなキッチン。冷蔵庫、電子レンジ、トースター、食器などが備付け、でも洗濯機はないので朝袋に入れておくと夜までは下着も含めてきれいに畳んで帰ってきます。
これが入口側。このテレビはいまだにどうやって使うのかわかりません。どうやっても映らない。









寝室

浴槽がない部屋もあるそうです。日本人はこれがないとだめだろう、と総務のAさんが説明してくれました。そのとおり!小さいけれどあるだけありがたいと思わないと。



寝室に立派なテレビがありますがこれは次回に。


おわび:まだ編集レイアウトの仕方がよくわからないので一部お見苦しいところがあると思いますが今後改善しますのでご容赦ください。

Posted by Picasa

2008年4月10日木曜日

北京新空港から出発

4月7日朝8時45分、北京空港からシンガポール経由でデリーに向かいました。新しい空港なので早めに出たのですが思ったよりスムースでした。荷物は鬼退治に行った桃太郎のようにいっぱいにして人生で最重を記録。5月2日までどうやって一か月生き延びるか、いろいろと考えてパッキングをした成果です。シンガポール航空のカウンターのお姉さん、最初は英語でしゃぺっていたのに重量オーバーということがわかったとたん100パーセント中国語になりました。やはり英語定着にはまだ時間がかかりそうです。手続きを終えて中に入ると、広い。しかもこんなものまでありました。


途中の”旅客便宜輸送”(シャトルトレインのこと、日本語のパンフレットにはこう書いてある。ちなみに”渡しバス”という乗り物もあるそうです)が結構距離が長くスピードも速い。揺れが大きいので何かにつかまろうと前を見るとおばさんが真赤な緊急停車レバーをしっかり握ってつかまっているではないですか!普通こんなものはむき出しにしないだろう、なんという設計!それもちょうどつかまりやすい所に。大きく揺れてこのおばさんが全体重をかけてよろけたらいったいどうなるのか?出発から私の旅も大きくつまづくことになります。ひたすら私は祈るだけでした。

おばさんが無事によろけなかったので無事搭乗ターミナルに到着。予定より30分ほど遅れて離陸、まずは順調にシンガポール経由でデリーに到着。総務の人が花束を持って向かいに来てくれました。花束なんかもらったのは人生二度目くらい、前回は何の時だったかもうよくおぼえていない。


宿のサービスアパートメントについたのは夜の11時過ぎ。インドのホテルはバカ高いので当面の滞在場所としておもに出勤するオフィスに割と近いサービスアパートメントを探してくれていたわけです。http://www.savoysuitesindia.com/

チェックイン後も荷ほどき、インターネット接続などいろいろ試していたら2時過ぎになってしまいました。
さすがに疲れた。